「北京原人が殺しに来る」吹田警察署千里山交番警察官襲撃事件(強盗殺人未遂)

公務執行妨害
  • 大阪地方裁判所:第12刑事部合議B係、裁判員裁判
  • 罪名:強盗殺人未遂、公務執行妨害、銃刀法違反

(※2023年3月下旬、控訴審判決予定)

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大阪中が戦慄した拳銃強奪

 2019年6月16日午前5時38分ごろ、大阪府吹田市の千里山交番にて品川区の無職男・I(35)が出刃包丁(刃渡り約16.8cm)を手に、バイクを発進させるところだったA巡査(27=当時)を襲撃。胸や背中、両脚などを複数回刺し、左肺を部分切除するほどの重症を負わせた。
 拳銃を奪ったIは付近の住宅街で1発発砲。池でナップサックや上着を捨て、側溝にもTシャツを捨てるなどした後、関大前駅から北千里駅へ電車で移動した。下車後は新たな衣服と帽子、虫除けスプレーを購入して箕面市の勝尾山へ向かった。


 翌17日早朝、捜査員に発見され逮捕。その際、拳銃の場所を問われると「俺が殺したいやつ全員殺したら教えてやる」と答えた。
 公判では、事実関係に争いは無く、統合失調症についても双方が認めた上で、検察側は限定責任能力があったとした。弁護側は刑事責任能力が無かったとして無罪主張。争点は有罪か無罪か。有罪ならば量刑の判断となる。

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初公判で被害者本人の証人尋問

 通例、大きな事件の初公判では証拠調べ(裁判員裁判の場合は統合捜査報告書の説明)で1日が終わることが多いのだが、この日は違った。
 いまだリハビリを続けているというA巡査長(事件後に昇任)本人が出廷したのだ。
「人の役に立ちたいと思ったから」警察官になったという彼は、事件当時まだ任官して1年半だった。交番には彼を含めて3人の警察官がいたのだが、Iによる虚偽の110番通報を受けて、先輩2人が出動した。
 夜間は2人以上での行動が義務付けられているため、A巡査も後を追うためバイクに跨り、エンジンキーを差し込んだところへ「おい」という呼びかけに振り返った。すると、距離1mの近さで男が包丁を逆手に持って立っていた。野球のピッチャーの投球のような軌跡で男は包丁を振り下ろし、A巡査はバイクに跨ったまま後ろにのけぞって避けた。バイクから降りようとしたが、衣服とエンジンキーがカールコードでつながっていたため離れられず、また、キーが抜けた反動で片膝をついてしまい隙ができてしまった。
 両脚を刺されたA巡査は植え込みにうつ伏せで倒れ込み、あおむけに体勢を変えるもIに跨がられて10回以上刺されたり殴ったりされた。ボクシングのガードの要領で身を守りながら「やめろ」と声をかけたがIは終始無言だった。
 左胸に包丁を刺したまま、Iは拳銃を奪おうとしたが、A巡査は二次被害を防ぐため懸命にIの手を両手で抑えた。しかし入れ物であるホルスターから拳銃が取られ、取り合いになったものの自身の出血で手が滑り、最終的に奪われてしまった。安全ヒモであるカールコードを外されたとき、自分が撃たれて死ぬと思ったという。
 だが、IはA巡査に背を向け立ち去った。A巡査は「他の人に使うなよ」と願いながら意識を失った。

奇跡の生還

 事件から2日後、意識を取り戻したときにベッドの脇には家族がいた。生き延びたことより最初に思ったのは「警察を辞めなきゃ」という拳銃を奪われた自責の念だった。左肺の部分切除など複数回の手術を受け、転院してからも4ヶ月入院し、合わせると半年以上入院していた。今も通院していて、左胸の感覚は無く、両脚の感覚も鈍く、走れない。肺の年齢は60歳くらいと医師に告げられ、階段の上り下りやジョギングで息が上がってしまうという。
 20年1月に復職してからは事務に従事している。元々は刑事課などの現場仕事を希望していたが、今の状況では無理と言われている。それでも、家族や同僚、上司のフォローを受けたため、これからも警察官を続けたいと語った。
 最後に検察官から言いたいことはあるかと問われ、彼はまず「市民の皆さんに怖い思いをさせてしまって申し訳ない」と述べ、被告人については「自分の口で動機などを話してほしい」と落ち着いた口調で答えた。

深々と頭を下げ続けた被告人の両親

 裁判官・裁判員からは、刺された順番が記憶にあるかを質問されたが、最初の傷から記憶に無く、背中を刺されたことも覚えていない上、出血には数ヶ所刺された後に気づいたと回答した。また、警棒などの武器を使わなかったことについては後悔しているという。
 A巡査長の証人尋問が終わり、この日は閉廷した。
 関係者には被告人の両親が座っていた。既報の通り、父親は関西テレビの取締役を辞任している。2人はA巡査長が退廷するまで深々と頭を下げていた。

「人の姿を見ると殺されると思う」

 前述の通りIは統合失調症を患っており、被告人質問が行えるのか気がかりだった。初公判のときから終始目を閉じて真下を向いており(移動の際も同様)、動作からもかなり症状が重く感じられたからだ。
 しかし、目を閉じていることには理由があった。
「下を向いて目を閉じているのは、人の姿を見ると殺されると思うから」だという。見たことがなくとも、天皇陛下や北京原人も自分のことを殺しに来るらしい。今まで会った人など、100万人以上が頭の中に浮かび、殴る蹴るなどの暴行を加えられ、触られる感触もあるし、「うんこやしょんべんをかけられたら臭いもする」そうだ。幼いときの自分が唯一の味方で反撃してくれるのだが、相手は死なないどころか、自分の両親やもう亡くなった祖父母も「なぜか殺される」ことが許せないと語った。
 また、〝黒い影の精霊さん〟が行動を指示してきて、逆らうと痛みを感じる。
 証言台では「この法廷の全員が頭の中にいる」と述べていたため、取材に来た私も彼の頭の中では殺しにかかってきているのだろう。弁護人には「裁判終わったら殺すからな」と頭の中で言われているらしい。
 09~10年から精霊さんが現れてニート状態になり、13年~14年から症状が悪化した。心臓の痛みを訴えるも精密検査の結果、異常無しと言われる。
 中学時代の野球部の顧問が自宅に不法侵入してPCからデータを盗もうとしている、と品川署に相談すると、「心療内科に行ってください」と勧められ、15年3月に初めてメンタルクリニックを受診した。統合失調症の診断には一応納得したという。
 この年から就労移行支援事業所に通所するようになるが、人を見ると襲ってくるためメガネをかけていた。メガネをかけると余計に見えるのではないかと思うが……ちなみに裸眼視力は東京拘置所での測定で0.3である。
 事業所の利用者をつけまわしてトラブルになったが、Iによれば頭の中のおじさん(具体名がある)が住所を調べろと指示してきたためという。このことは医者に相談しておらず、その理由も「嘘をつけ」という指示に従ったから、と語った。
 19年2月には八丈島へ日帰りでスキューバダイビングに行くよう指示。ところが予約をドタキャンするよう指示され、足湯に浸かって何時間も海を眺めた。
 同年6月、5~8日はまたしても指示によって沖縄へ向かった。2日間に渡ってゴルフコースを予約していたが、1日無断キャンセル。複数人に指示され入水自殺を図ったが、自分自身が幻覚として現れ、彼(自分?)の説得によりやめた。約一週間後、Iは犯行に及ぶ。

スティーブン・セガールと松田優作を射殺せよ

 同月13日、東京から新幹線で新大阪へ移動。南千里駅に向かい、この日は公園で野宿した。翌日はホテルに宿泊し、15日にチェックアウト。東京ドームで行われる野球の試合の観戦チケットを同日正午ごろに購入したのだが、これは長嶋茂雄と原辰徳が幻覚に現れたためで、原を殺すように指示があったからだという。高橋克典のディナーショーのチケット(27万円)も購入しているが、これも彼を殺せという指示によるもの。
 事件当日の記憶はほとんど無い。持っていた包丁は東京で買ったものがナップサックに入ったままだったとI。「交番 何人体制」など様々に検索ワードを変えて調べた履歴があるが、すべて覚えていない。虚偽の110番は内容も含めて精霊さんの指示によるという。襲撃自体も覚えていないが、動機については「10歳の自分が被害者の警察官にバラバラに殺されるのが見えて指示で襲った」。拳銃のカールコード(容易には取り外せない)については幻覚として現れた同級生の警察官と精霊さんが教えてくれたという。
 事件後、衣類を捨てたり着替えたりしたのも指示。勝尾山に向かったのは、「スティーブン・セガールと松田優作がいるから射殺しろ」という指示によるものだったが、いなかったため疲れて寝ていた。逮捕されたのが山中だったのはそのためである。
「俺が殺したいやつ全員殺したら教えてやる」と捜査員に言ったのは、自分の気持ちと、敵を殺してほしいという指示の両方だという。
 初公判の1ヶ月前の公判前整理手続からは、裁判官・裁判員から暴行を受ける幻覚を見るようになり、医師による最高レベルの投薬を受けて安定するようになった。拘置所は情報がシャットアウトされている上、独居房であり、風呂も集団に遅れて入ることが許されているとのことで、彼にとってはよい空間なのかもしれない。
 被害者に対しては申し訳ない気持ちだが、頭の中では今でも戦っているし、母親も襲われているため心の底からは申し訳ないと思っていないとのことだった。

すべて病気のせいなのか?

 検察側は妄想以外の部分を突き止めようと試みている印象だった。だが、被告人質問の回答も指示によるものであるとIは初めから断言した。事件前後のことは覚えていないか指示によるものかのどちらかで、取り調べについてまったく覚えておらず、黙秘に転じたのも指示によるものだという。
 鑑定にあたった2人の医師には、沖縄旅行について「梅雨の時期で安かったから」と理性的な理由を話しているが、これも覚えておらず、「記憶があるかどうか覚えていない」という発言を連発した。
 一方、裁判所からの質問には、東京拘置所の医者や鑑定人に病気が治るかについて相談できたと話している。検察官が医者との会話の話をすると一切覚えていないと主張しているのに対し、裁判所からの質問には医者との会話をよく持ち出すことに違和感を覚えた。
 Iが重度の統合失調症であることには間違いない。しかし、理性的に嘘をついている部分も確かにあるように感じた

一審判決

 判決は懲役12年であった。(求刑:懲役13年)
 裁判所は、動機について統合失調症の影響を認めたが、犯行後に衣服を着替えたりした行動から「善悪を判断する能力がまったく欠けていたとはいえない」として限定責任能力を認めた。懲役12年という量刑は、地域社会へ与えた不安などを考慮した。

刑務所に収監していいのか

 凶悪な殺人未遂事件を少なくない件数見てきたが、懲役12年というのはかなり重い部類だと思う。警察官から拳銃が強奪されて犯人は行方知れずという、社会に計り知れない恐怖を与えた事件は、通り魔殺人に近いものがあるだろう。ただ、Iの姿を目の前にすると、懲役刑という選択が正しいのか疑問に思った。まともに刑務作業が行えるとは思えないし、反省への道も遠そうだ。そもそも、目的の不可解な犯行なのに、途中の行動に理性的な面が見られるとして処罰しても、更生が期待できるのだろうか。
 ただ、前途多望な警察官が瀕死の重傷を負った事実は確かだ。この事件はI個人の責任に帰するよりも、強制入院制度を考え直す奇貨と考えるべきだろう。医療観察法が制定されるきっかけとなった附属池田小事件の現場は、本件の起こった吹田市からほど近い。発生した時期を考えると、相模原障害者施設殺傷事件の公判前整理手続きの最中だった。
 障害者の人権を守るには、偏見を助長するような事件を防がなくてはならない。

逆転無罪判決

 一審判決から約1年半後、大阪高裁は原判決を破棄し、Iに無罪を言い渡した。

(追って加筆します)

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