- 大阪地方裁判所:第1刑事部2係
- 罪名:自動車運転処罰法(5条 過失運転致死傷罪)
(現場となった第二京阪道路久御山JCT付近。被害車両は完全に路側帯の外側へ停車していた)
報道は以下の通り。
居眠り運転が引き起こした大惨劇
2020年4月4日午後2時23分ごろ、第二京阪道路久御山JCT付近で仮睡状態に陥った国益精吉(58、国は旧字体)の運転する大型貨物自動車が第二京阪12.2kmポストにて、停車中の準中型自動車に75km/hで衝突。その前方で普通貨物自動車のホロを張り直していたAさん(47=当時、以下同じ)、Bさん(28)、Cさん(24)の3名が致死的頭部外傷で即死し、準中型自動車の車内で完全確認を行っていたDさん(32)が重症を負った。
被告人は前夜に3時間しか寝ておらず、仮眠を取らずタバコや飲み物で眠気を覚まそうとしていた。被告人が乗っていた車にはドライブレコーダーが搭載されており、9回も左路肩にハミ出す様子が記録されていた。
目を覆いたくなる光景
被害に遭った4人はビルメンテナンス会社の社長と社員であった。普通貨物自動車のホロが走行中に外れそうになり、安全講習の内容に従ってただちに停車してホロを張り直そうとした。(飛んだホロが他車のフロントガラスを覆うなどすると大変危険であるため)社長を含む3名は路側帯の中で作業を開始した。現場を通過したドライバーも「被害車両は路側帯からハミだしていなかった」と証言している。
講習では、他車が後方で安全確認を行うこと、とされていたため、Dさんは準中型自動車に残っていた。そのため一命を取り留めたものの、加療4週間を要する右眼瞼部挫創麻痺を負い、1年ほど経った今でも首を回そうとすると激痛が走るという。前方の路肩で倒れている1人は〝頭が無くなっているように〟見えて恐怖を感じ、「さっきまで一緒にラーメンを食べていたのに……」と絶句した。被告人には「最大限の重い刑を」求めた。
被告人は110番をしながら救護活動に向かったが、「大丈夫ですか」と声をかけるも体が変形しており、「2名死んでいます」「3名死んでいます」と電話口で伝えた。約20分後に救急車が到着したが、2名の死亡を確認し、1名は搬送されたが死亡した。
変わり果てた姿を目にして
社長であるAさんの妻は「2人の子供がいて、孫を楽しみにしていた。会社を大きくしたいと言っていた。遺体の顔は変形していて、苦痛を思うと涙がこみ上げてきた。プロゴルファーを目指していた娘はゴルフができなくなり、息子は公務員試験の受験をやめて父の会社を継ぐことにした」と調書で述べ、厳罰を求めた。
Bさんの父は「(Bには)彼女がいたが、28歳でこの世を去ってしまった。顔の損傷がひどく、体が変形していて苦痛と、待っていたはずの幸せな家庭を思った」とし、母は「彼女と顔合わせをする予定を立てていたが、初めて会うのが通夜になった。素敵な女性でずっと法要に来ているが、悲しそうで心配。近いうちに婚約する予定だった。遺体は息子かどうかわからなかった」と厳重な処罰を求めた。
Cさんの父は「夕方のニュースで事故を知り、電話するもつながらず、会社から亡くなったのを知らされた。遺体は右側頭部の損傷が激しかった。息子を返してくれとしか思えない」。Cさんの弟は「不謹慎だが他の人でもええやんと思った。父は過呼吸になっていた」と調べに対し答えた。
凄惨な遺体に接した遺族の悲しみが法廷中に伝わった。
事故の前夜
国益は事故当日の0時半に退社。障害を抱える2人の娘の入浴介助をしてから眠った。娘が成長してからは妻の力だと介助が困難になったためという。
就寝時間が遅くなったことに加えて、被告人は重度の睡眠時無呼吸症候群であり、CPAPという呼吸を助ける装置を装着して睡眠を取っていた。
金沢方面から大阪南港への帰り、「あと1時間で1週間の仕事が終わる」と考えた被告人は休憩を取らずに運転を続け、今回の事故を引き起こした。持病により、睡眠の質が低下していたのも事故の一因と思われる。
事故後の被告人
国益はAさんの会社を訪れて土下座をして謝罪したという。同年7月20日には会社を懲戒解雇され、違反点数46点で運転免許証の欠格期間は5年となった。再就職のためにハローワークへ行くも、これまで運転一筋だったために仕事はなかなか決まらない。
「私のせいでいろんな未来をつぶしてしまった。すいませんとしか言いようがない」と検察官の質問に反省の弁を述べた。
娘は事故のことを理解していないという。
最終陳述にて「私の軽率な行動により、このようなことになり誠に申し訳ありません。心の底から後悔……」と、涙声で最後まで被告人の声は聞き取れなかった。
結果
検察側は、被害結果は親族にも及ぶ、過失は重大で、事故は起きるべくして起きたと言わざると得ない。道路外の3人に落ち度は無く、同種事案の中でも過失は重いとして、禁固6年を求刑した。
弁護側は、反省と賠償をしており、免許取り消しを受けた上、自家用車を処分した。道路交通法75条に規定されている、停止表示機材の設置や発煙筒の使用がなされておらず被害者の過失もある。再犯の恐れは無い。と、寛大な処分を求めた。
判決は禁固4年6月であった。告げられた瞬間、遺族の一人が静かに手を合わせた。
3名の命が瞬時に奪われ、被害者の無念は察するに余りある。遺族の処罰感情は当然で、結果は誠に重大で、職業運転手として休憩を取らなかったのは軽率。道路交通法の違反については、当時の天候と状況からして、適切な処置を取っていたとしても事故を免れるものではなかった、との理由である。
最後に裁判長は「亡くなった3人と遺族の方と友人と恋人のことをずっと考えてください」と説諭した。
私は副鼻腔炎がひどいときに睡眠時無呼吸症候群の検査を受けたことがある。結果は閾値で、副鼻腔炎が治ってからはよく眠れるようになったが、それまでは日中の眠気が酷かった。そのため、本件は他人事では無いと感じたし、服役中に被告人の娘の介助は誰がするのかと気にもなった。
だが、自身の体調を考慮した行動を取ればこのような悲劇は起きなかったはずである。被害者のご冥福をお祈り申し上げたい。
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